周囲に理解してもらえない「心」の辛さ

特に2000年以降、メンタルヘルスの理解は大分深まりましたが、同時に、
心の問題、病気は、その人の考え方や、心の弱さ、性格に問題があるという認識、また、育った環境や、過去のトラウマのせいなど、心の傷が原因という認識が広まっています。

よって、うつやパニック症状から、強迫性障害、性格の問題まで、ほとんどの人は、その人の「心」に問題あるのであって、「心」を矯正しなければならない、「心が弱い」ままではいけない、と、その人の心を責め、心を治そう、心のアプローチをしようという流れが強くなりました。

しかし、肉体的な原因で心が病んでしまう、性格まで変わってしまう、ネガティブになりやすく、不安が強くなる、ということを、どのくらいの人が理解しているでしょうか。
心理学ブームの弊害で、ほとんどの人が、それを忘れているように思います。

悲しいことに、心の病気は、心が原因だという認識が広まると、

  • 本当は怠けているのではないか
  • がんばりが足りないのではないか
  • もともとの性格に問題があるのではないか
  • 育った環境に問題があるのだから、仕方がない
  • 甘い

などという、
なんでも「心」のせいにする、とんでもない思い違いがはじまります。
僕の周りの友人達でも、社内でメンタルの問題を抱えた方達への理解が非常に乏しく、上記のようなことを平気で愚痴のように漏らす人もいます。

みんな、思い違いをしているのです。
心に問題を持って苦しんでいる人たちの原因は、心だけではないのです。
心の苦しみは、今、ここで起きている、もっと肉体的な疾患です。

言い換えれば、脳の機能不全といえます。「心」とはイコール「脳の状態」です。

しかし、このメカニズムは、特に日本では、なかなかしてもらえないのが現状です。
橋本翔太の大学院時代も、心理学の教授が、
セロトニンとうつ病の関係性の記事について、激しく批判していたのを思い出します。
「心の問題を、脳機能やホルモンのせいにするとは、何事か」

と、怒っていたのです。心理の世界では、まだまだ「心の病は、心にある」が常識です。
僕も、心と体は全く別の問題だと、自分が倒れるまで信じていました。

大学院という本来、最先端の情報を扱う場所でも、このようなレベルです。
周囲の理解が得られないのは当然です。

特に、心に症状が出ていても、身体に外傷があるわけでもなく、一見元気に見えるので、
ホルモンと脳のバランスが、どんなにおかしくなっていても、察してくれる方はほとんどいません。

そして、自分自身も、まさか身体の不調、脳の不調が原因などとは思いもしないので、
なんで自分はこんなに弱いのだろう、落ち込みやすいのだろう、と性格のせいにしたり、
自分の心の弱さを責めたりして、苦しみます。気持ちが弱っているので、
周囲の意見に流されやすく、自分を非常に責めてしまいがちです。

また、脳やホルモンバランスがおかしくなっているからといって、外見は問題ないので、周囲も余計に理解してくれません。
当時、橋本も見た目には全く問題なく、むしろ人よりも健康に見えるので、
身体が原因で、脳のバランスが崩れ、心が苦しくて苦しくて、
今日、なんとか生きているのがやっと、だなんて、誰も信じてくれませんでした。

必死で梯子してたどり着いた某大手の大学病院の心療内科の先生でさえも、「休息をとってください」だけで、冷たくあしらわれます。でも休んで治るくらいなら、とっくに治っているはずなんです。

僕はますます、自分がなんでこんなことになってしまったのか、やはり自分が弱いだけで、仮病なのか。自分は怠けているだけなのか、と、当時は、のた打ち回って苦しみました。

仮に見た目が健康そうでも、何の外傷もなくても、脳の機能とホルモンのバランスが激しく乱れていることがあるのです。多くの人が、それを理解していません。
ドクターが信じてくれないのです。友人達が理解してくれるわけがありません。
友人に相談しても、

「考えすぎだよ」
「人生いろいろあるけどさ、またいいこともあるよ」
「ポジティブに行こうよ」
「誰だって、苦しみながらも、がんばって毎日、生活しているんだよ」
「発展途上の国よりも、恵まれてるんだから」

そんなの、心理のプロとして、活動してきた僕には、わかりきっているほど、わかっているのです。

なのに、できない。心が、身体が言うことをきいてくれない。でも、やはり自分が弱くて、自分が悪いのだ。こんなに心のことを勉強してきて、強くなったつもりだったのに、自分は結局、人並みにもなれないのだ。

例えるなら、そば打ち職人が、ある日、両腕が動かなくなってしまって、そばが打てなくなってしまった。そばが打てないと友人に相談したら、「そんなの、そば粉をこねて、切ればいいんだよ」と、そばを打ったことも無い人のはずなのに、わかったような顔で言われてしまった。でも、そんなの誰よりも、わかっているのに、やはり腕が動かなくてそばが打てない。そんな、深い絶望と悲しみと、悔しさの底で、深い絶望の中で、生きる力も、あとわずかで途絶えそうでした。そば打ち台の前で、自分の無力さに、ただ涙があふれてくるように、「生きていく」ということを前に、これ以上、進んでいく力もなく、ただただ、涙だけあふれてくる。言葉ではとても表現できない、身体的な苦しみからくる、心の痛みに、打ちのめされていました。


身体と脳とホルモンの健康を取り戻し、すっかり回復した後、知人の有名な心理カウンセラーに、今回の経験を、包み隠さず話しました。心は、身体によって病んでしまうこと、ホルモンが心に及ぼす影響力、心からのアプローチが全てではないこと、人は栄養素や運動による影響を想像以上に受けていること、などです。

すると、

「翔太さん、ひょっとしたら、潜在意識のところで、抵抗している何かがありそうだね。あと、気づいていないトラウマのせいで、今回の出来事が起きたのでは」

この回答に、愕然とし、閉口してしまったのは、いうまでもありません。
心の問題は、全てが心にあるわけではない、そう繰り返しているのに、
結局、全く、理解してもらえないのです。

この方のもとに来るクライアントさんで、もしも、心の問題ではなく、身体の問題で、精神に症状が出ていたら、脳の機能の停滞で性格に問題が起きていたら、クライアントさんは、一生治ることができないでしょう。原因は「心」にあるのではないのですから。

心理のプロ、と言われる人ほど、「身体」の重要性が、すっかり抜け落ちています。

  • ストレスで癌になる、うつになる。
  • 全ては意識が原因で、意識が変われば、全てが変わる。
  • 苦しみは、今までの意識が原因であり、生育歴や、潜在意識をクリアにする必要がある。

これらは、特に2000年以降広まった「心」と「意識」を全ての原因とする考え方です。
僕も倒れるまでは、そう強く信じていました。

しかし、それだけではないんです。これだけでは、半円しか埋まらないのです。
心の安定に必要なのは、心のアプローチ、そして身体のアプローチの2つです。
2つの車輪が揃って、はじめて心は安定して動きはじめます。

肉体という、この僕たちの乗り物が、正しく機能していないのと、心が病んでしまう。もう半円は、身体へのアプローチで埋める必要があるのです。
僕はこの身をもってそれを体験しました。