栄養で、搾取されない人になれる

●譲るのをやめる。「優しい」は自分の身を削ることじゃない

とある南アジアの先進国(この時点でバレてるがあえて伏字)にいます。この国には何度も来ているのですが、つくづく思うのは、割と多くの人が譲らないんですよ、道を。道だけじゃない、あらゆる場所で。

二人しか通れない道を歩いていて、向こうからカップルやら、夫婦やら、友達連れやらが来るとしますよね、すれ違うのは目に見えてわかるのに、どかないんです。本当に譲らないんですよ。動かないの。え? ここ二人しか通れないよね? ね? と思うんですが、どかない。たまにどく人もいるけど、こちらの通る道を見事に考慮していない。ひどいと、すれ違いざまに舌打ちされたり。笑

もうね、あらゆる場所でそうです。電車もバスも、降りる人が先、というのがないし、入り口を塞ぐようにスマホいじっているし。

他には、混み合っている、例えば新宿駅みたいなところでも、このスペースじゃ、すれ違えないだろうが! というところに、ガンガン攻め込んで来るんですよね。

僕の視点からズバリ言えば自分のことしか考えてない。

最初は、気を使って譲っていたんです。よけてました。そうやって長いこと教育されてきたし、日本ならそれが当たり前だから。譲り合いの精神ってやつです。でも、ある時から、なんで、こちらがいつも譲らなきゃいけないんだ? とやってられない気持ち、怒りに変わりました。

譲るとは、譲り合い、というお互いの行為によって成り立つわけで、一方的に気を使い譲るのは搾取されてるのと同じです。あなたの庭を荒らされるのを許してるのと同じ。

もう、どっと疲れてしまうんですよ、道を歩くだけで。よけているのに、それでも肩がぶつかったりするし。歩くのにいつも気をつけないといけないし。明らかに「こちらの領域」に踏み込んできていて、こちらが譲っているのに、それでもぶつかってきて、かつ、謝りもしない人たち。

なんで、自分が優しくしてあげなきゃいけないんだと。そう、踏み込ませてはいけない、こちらが守るべきテリトリーに彼らは土足で侵入し、お前がどくのが当たり前だろ、と、したり顔でタックルしてきます。

最初は、エクスキューズミー?(にっこり) ってやってたんですけど、そもそも、エクスキューズミー? で話がわかる人じゃないからこういうことになっているんだということもわかってきました。だって舌打ちして返してくるんだもん。自分:エクスキューズミー?(にっこり) 相手:ちっ(ものすごい不快な顔)

それで、まだなれないんですけど、もう譲るのをやめよう、これは譲るのをやめるトレーニング、他人を気遣うのをやめるトレーニング、自分の領域を守る練習、自分を第一に自分を大切にするトレーニングなんだと思って、相手のためによけないことにしたんです。

相手がガンガン来るので、もうぶつかるだろうな、とわかるので、体の芯を意識して歩きます。もう、見事にどっか〜んってぶつかって来るんですけど、こちらも鍛えてますから、僕は揺らがないんですよね。だから、もういいや、ガンガンぶつかってこいや、タックルの練習台になったるわ、こちらはよけないぞ、と。(なんか田舎のヤンキーみたいですが、相手を威嚇してるのではなく、こちらのテリトリーに踏み込んできた相手を受け入れない、ということです)

お年を召された方は別ですよ。

背後や、相手が気づいていない場合は、こちらも最大の配慮と、Excuse me? を使いますが、●明らかに前方から歩いてきており、向こうの視界に自分が入っている、●あるいは目が合っている、●向こうもこちらの存在に気づいている、けれども、譲り合いの精神がない人には、こちらが一方的に譲るのはやめることにしました。

もうね、日本人でいういい人(という刷り込み)やっていると、消耗してしまうんです。つまり僕にとっての、いい人、とは、

●自分という存在を第一にしないで、必要以上に相手に譲ることを美徳とする価値観の下に醸造されてます。

こんなこと(譲らずぶつかる)、今までの人生で、したことないですし、相手に気をつかう、相手がおかしくても、こちらが譲ってあげる、ニコニコ笑ってすます、許す、ということを美徳として生きてきたので、その逆をやることは罪悪感もあり、気分は悪いのですが、それでも、ここから結構学んでるんですよ。それは、

●自分は自分。自分を一番大切にしてあげないと。譲り合いの精神は大切だけど、自分を削ってまで、摩耗してまで、相手に譲ることは一切ない。

という、至極、当たり前の感覚。

●自分がしなきゃいけないのは、いつだって、自分を第一に考えること。日本ではそれがわがまま、自分勝手、と言われてしまうことが多いのですが、自分以外に自分を大切にしてくれる人なんていないんですよね。

わがままになる、ということではなく、自分の身を削ってまで、自分のテリトリーを相手に明け渡さないということです。

自分の領域は主張する、自分の通り道を主張する。自分の身を削ってまで、相手に譲らない。自分の安全、安心、権利、主張は、自分が一番に守ってあげる。

この当たり前、結構、僕たちは苦手な気がするんですよ、だって子供の頃から、相手に譲り、自分を犠牲にしても、周囲と同調し、相手に優しくし、場を乱さないことが、最大の美徳と教えられてきたじゃないですか。

だから、

●自分を大切に、って聞く割には、自分の身を削っても相手に尽くせ、場を乱すな、という、ものすごい圧力がありません? 「自分を大切に」って、居酒屋のトイレにも貼ってあるので、擦り切れて、もうよくわからない言葉になっていると思うんです。

だって、自分を大切に、って言いながら、自分を大切にすると、わがままだ、他人のことを考えろ、空気を読め、って言われるし。その人が「気遣いの数直線バランス」のどこにいるのかにもよりますが、真ん中の中庸、にたどり着くためには、相手に譲り、自分は二の次になりがちな人ほど、譲りすぎるくせを直さないと、疲れて切ってしまうし、ひどいと、その優しさ(という歪んだ価値観がベースにある幻想なんですが)につけこんで来る人間も出てきます。

それは、あなたが優しいとか、いい人だから、と綺麗にまとめることもできますが、言い方を変えると、

●自分を大切にできない、自分を自分で守ってあげられない人だということ。

特に日本人を長くやっていると、その中でも、心理学やスピリチュアルを学ぼうと思った背景がある方は、他人に気を使いすぎしてしまう、自分に自信がないので、いつも他人優位になってしまう、他人の目が気になる、そんな悩みを抱えた人が多いと思うんですね。

残念ながら、僕も含め、親や周囲の顔色を伺いながら生きてきた人は、そういう傾向にあります。その時は、そうするしか生きる道がなかったから。仕方ない。

でも、今は違う。あなたが一番大切にしなきゃいけないのは、親ではないです。配偶者でもない。自分です。
I come first. です。 だから今から、ちょっとずつ、自分の守るべき領域を削ってまで他の誰か(それが家族であっても)に譲り与えるのはやめてみてください。

ちなみに、相手に悪気がない、で、許すのもやめましょう。

相手に悪気がない、と判断するのは、あなたの怒りを建設的な方向に向けるのには役立ちますが、相手に悪気がないから、あなたの領域に侵入していいわけではありません。

むしろ悪気がない分、逆にタチが悪いこともあります。

悪気がないから、あなたの尊厳、精神的なテリトリーに踏み込むことが許されるわけではありません。

英語だと、バウンダリー(境界線) というのですが、 こちらの領域に踏み込ませない、というテクニック、に通じます。このバウンダリーはまたご紹介しますね。

日本がいい、というつもりはないし、日本の譲り合いの精神が素晴らしい、とのたまうつもりもありません。文化の違いもあるだろうし、今回のテーマはそこじゃない。

日本でも同じこと。
あなたの領域、通り道、に踏み込んで来るやつに、あなたが道を譲る必要はないんです。あなたの領域、あなたという存在は、あなたしか守れません。

踏み込んできたやつを、殴ったり、怒鳴ったりする必要はありません。

ただ、譲らず、ぶつかってきても静かに跳ね返せばいい。相手に、踏み込ませないでください。あなたの領域に踏み込ませない。そう決めてください。

あなたが身を削って相手のために譲るのは、それであなたが苦しくなるのなら、美しくもなんともない。

あなたを尊重しない人間を、あなたの領域に入れないでください。そう決めるだけで、相手はあなたのテリトリーに踏み込みづらくなりますし、踏み込んできても、あなたの決心が、その相手を跳ね飛ばします。

え?引き寄せの法則? あなたの内面は鏡で、だからそんな意地悪な人を引き寄せてしまうんだ、内面を整えろ?

いやいや、「自分を後にして相手に譲ってもいい。それはよいことだ」というおもいこみが、まさに引き寄せの元になっていて、それをぶちこわすために自分を守ることからはじめるんです。

そして、なんでもかんでも引き寄せ引き寄せ、自分原因にしないこと。全てが自分原因で考えると、押しつぶされますよ。もっとシンプルにしましょう。

●嫌な奴に、ニコニコする必要はない
●あなたの領域は自分で守る

相手が肉体的、精神的にあなたのテリトリーに侵入してくるのを拒否しなきゃだめなんですよ。

静かに、でも断固として、相手に侵入させない。

物理的に、僕は鍛えてますし、コアもあるので、ぶつかってきた相手は跳ね返されてしまいます。でもそれは、僕が、自分の領域は譲らない、と決めて歩いているから。

今までは

●ぼーっとして歩いてきたから
●侵入を許さないと決めないで歩いてきたから
●相手の動きに翻弄されてきたから

いつもよけてあげて、相手にどんどんつけ込まれて、自分は疲れてしまっていたわけです。

●相手に優しくするということは、あなたの身を削ることではありません。

なお、相手を跳ね返すのには、渦を使ったグラウンディングが非常に効果的で、「気」の使い方、意識の向け方で、そもそも、そういう相手が近づいてこなくなることもわかってきたのですが、これの後日談はまた改めて、

●バウンダリー と ●グラウンディング の話をまた書きます。

1 自分を大切にする感覚
2 相手に侵入させないエネルギーの強さ

、、、、、

これらはまずは身体がら脳が資本ですから、鉄、ビタミンB群、アミノ酸に亜鉛の栄養素でつくられます。腸内環境も気をつけてください。腸内が整うだけで、吸収ものよくなって、心がぶれやくなりますから。(栄養ボディ療法にある通りです)
https://coda.shota-h.com/coda/

もう半分は心理療法、メンタル面のアプローチでつくられるわけですが、

一人でできて
難しいテクニックがいらなくて
改善に導いてくれる

のに役立つのが、「気」のワークです。詳しくは本編のブログ後半を参考にしてください。

https://www.shotablog.com/article/454047239.html

 

あなたを尊重しない人にまで、あなたが気を使ってはいけません。
あなたが一番大切にしなきゃいけない人は、あなたです。

You Come First!

 

 

 

 

 

 

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